鯉のぼりや兜を飾る理由や柏餅やちまきを食べる理由を園児たちに簡単に説明したいな・・・
端午の節句やこどもの日のイベントに、鯉のぼりや兜などを作ったり飾ったりする幼稚園や保育園も多いのではないでしょうか。
そしておやつの時間に、柏餅(かしわもち)やちまきをみんなで仲良く食べますよね♪
「端午の節句」に関する風習やその意味などは、なんとなくは分かってはいる程度だという保育士さんも多いのではないでしょうか。
今回は、「端午の節句やこどもの日に関する鯉のぼりや兜、柏餅やちまきの由来の説明」についての情報をお裾分け致します。
鯉のぼりの由来の説明を保育園幼稚園でするには?
水の中で生活する鯉が、なぜ五月になると、空を泳ぐのでしょう?
きっとこどもたちは、
『おさかなさんなのに、どうしてお空をおよいでいるの?』
『青色の鯉なんかいないのに、どうして子鯉の色は青なの?』
と、「どうして」怪獣に変身し、不思議に思っていることでしょう(=゚ω゚)ノ
なぜ、端午の節句に鯉のぼりが飾られるようになったのか。
鯉のぼりを飾るのは、昔の中国の伝説と、日本における「我が子の健康と成長」を願う親心が結びついたことから始まりました。
それでは、昔の中国の伝説から見ていきましょう!
中国における、鯉の滝のぼり伝説
中国の大きな川の一つで、「黄河(こうが)」と呼ばれる川があるのはご存知かと思います。
この黄河の上流には「竜門(龍門)」という、ものすごい激流の滝があります。
あるとき一匹の鯉が、激流に逆らい、なんと竜門を登り切ったのです。
すると、鯉は竜に変身し、天に昇っていきました。
このように、この滝を登り切った魚には霊力が宿り、竜(龍)になって天に昇るという伝説が広まったのです。
これを「鯉の滝登り伝説」といいます。
竜は皇帝のシンボルであり、鯉が竜に変身することは、出世をするという意味になるのです。
日本における親心な風習
江戸時代の日本において、将軍や武士の家では後継ぎとなる男の子が生まれると、家紋の入った旗や幟(のぼり)を立ててお祝いをする風習がありました。
しかし、一般の家庭においては、家紋がないため、幟を揚げることができませんでした。
ちょうどこの頃、中国の「鯉の滝登り伝説」が日本に伝わり、家紋を持たない一般の人々は、鯉の逆境に打ち勝つ力と生命力にあやかり、
■人生で遭遇する難関を突破し、立身出世して欲しい
■どんな環境の中でも力強く生き、長生きして欲しい
という願いを込めて、幟の代わりに、「鯉のぼり」を揚げるようになりました。
これが「鯉のぼり」の由来となっています。
※1 立身出世:社会的に高い地位を得て、立派な身分を得ること
※2 鯉は生息する場所(川、湖、沼など)を選ばないため、強い生命力があり、そして長寿の魚として知られています。
江戸時代の鯉のぼりは、和紙に鯉の絵を描いた「幟」でしたが、大正時代になると、布製(綿)に代わり、形も一枚布から、次第に現在の「鯉型」に変化しました。
園児に分かりやすく伝えるには?
鯉のぼりを飾る理由としては、「立身出世」の意味合いが強いので、こちらを中心に説明した方が分かりやすく伝えられると思います。
昔の中国という国に、黄河っていう川があって、その川にはとても大きな滝がありました。
その滝を上ったお魚さんは、大きな竜に変身できるって言われていたのね。
あるとき、一匹の鯉が、その滝を登り切って、竜に変身してお空に昇っていったんだって。ヽ(^o^)丿
滝を登っちゃうなんて、鯉って力強いんだね。
それに竜に変身しちゃうなんて、鯉ってカッコいいよね~♪
だから鯉のぼりを飾ることには、みんなが「力強くて、しっかしとしたカッコいい人になって欲しい」って願いが込められているんだね。
鯉のぼりの色について説明される場合には、こちらの記事をご覧になってみて下さいね。
兜飾りの由来の説明を保育園幼稚園でするには?
戦国時代において、防具である兜(かぶと)や鎧(よろい)などの甲冑(かっちゅう)を着けて、戦いをしていたのはご存知だと思います。
中国から「菖蒲(しょうぶ)」や「蓬(よもぎ)」によって厄除けするという風習が日本に伝わると、武士たちは戦場にて、災いが近寄ってこないよう、身を守ってくれる兜に菖蒲をつけ、戦に臨むようになりました。
そして江戸時代になると、後継ぎである男の子が生まれた際、幟を掲げるとともに、災難や厄などから男の子を守り、無事に成長することを願って兜や鎧を飾るようになりました。
一般の人々もこれにならい、兜鎧に真似た作り物をつくり、飾るようになりました。
このように鎧兜は、
■無病息災、健やかに成長して欲しい
■勝負強く、たくましい男に育って欲しい
という願いを込めて、身を守るための武具(兜、鎧)を飾るようになったのですね。
また女の子の身代わりとなる雛人形と同様の考えのもと、男の子の身代わりとなる武者人形を作り、厄を受けるお守りとして飾られるようになりました。
これが五月人形の始まりとなっています。
園児に分かりやすく伝えるには?
兜飾りは、病気やけがから身を守ってくれるものということを伝えるようにすればよいと思います。
身近なヘルメットなどをイメージしてもらうことで、こどもたちは理解しやすいのではないでしょうか。
昔の日本にはね、自分の陣地を広げるための戦いが行なわれていた時代があったの。
戦いに参加する男の人は、けがをしないようにと兜や鎧というものをつけていたんだ。
兜は、自転車に乗る時のヘルメットと同じ役割だね。
ヘルメットは、転んだ時とかに、頭を守ってくれる大事なもの。
このように体を守ってくれる兜とか鎧を飾ることで、「病気やけがをすることなく、子どもたちが元気に大きく成長しますように」ってお願いをするようになったの。
柏餅やちまきの由来の説明を保育園幼稚園でするには?
『端午の節句の時に食べるものってなあに?』と聞かれて、
『ちまきっ!』って答えた人は、関西出身ですよね、きっと。(*’ω’*)
実は、地域によって大きく分かれているんです。
関西をはじめとする西日本では、「粽(ちまき)」を食べることが一般的です。
ちまきは、もち米やうるち米の粉を笹の葉などで包み、藺草(いぐさ)で固く縛り、蒸して作ったものです。
一方、関東をはじめとする東日本では、「柏餅(かしわもち)」を食べることが一般的なんですよね。
柏餅は甘い餡子(あんこ)が入った白いお餅を柏の葉っぱで包んだものです。
葉っぱで包むということは同じでも、葉っぱの種類や、中身が違うんですね~(@_@)
端午の節句に粽(ちまき)を食べるきっかけとなったのは、中国から節句という慣習が日本(平安時代の頃)に伝わった際、粽も一緒に伝えられたからなんですね。
当時、都があった近畿(京都)で広まり、やがて全国へと広がっていきました。
端午の節句が定着した江戸時代になると、「柏」の葉で包んだお餅が江戸の武家に重宝され、節句祝いの席の食べ物として親しまれるようになりました。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特長があり、「子孫繁栄」として縁起が良いとされているからなのです。
「後継ぎ」がとても重要であった時代において、子孫繁栄を望む気持ちは強かったのですね。
しかしこの「柏」の木は、西日本ではほとんど自生していないものだったため、関西で広がり、食べられるということはありませんでした。
こうして、最初に伝わった「粽」はそのまま関西を中心とした西日本に定着しました。江戸時代以降になると、関東と中心とした東日本には「柏餅」が定着し、それぞれの食文化に分かれ、親しまれるようになったのですね。
めでたし、めでたし。
あっ、ちまきの由来、忘れてました・・・( ゚Д゚)
それでは、粽(ちまき)の由来についてご紹介していきましょう!
ちまきの由来
およそ2300年前の中国の楚という時代に、国王の側近として仕えていた屈原(くつげん)という詩人がいました。
屈原は多くの人々から慕われていたのですが、陰謀によって、屈原は国から追放されてしまいました。
裏切られた屈原は、川に身を投じ、自ら命を絶ってしまうのです。
屈原を慕っていた多くの人々が悲しみ、供物(そなえもの)を川に捧げることで、毎年屈原を弔いました。
しかし、その供物は、屈原のもとに届く前に、悪い龍に食べられてしまいました。
その為、龍が嫌いな「楝樹(れんじゅ)」の葉でもち米を包み、邪気を祓う5色(赤、青、黄、白、黒)の糸で縛り、川に投じるようにしたところ、無事、屈原の元に届くようになったそうです。
これが粽(ちまき)の始まりであり、中国では厄祓いのために粽を食べるようになったのです。
園児に分かりやすく伝えるには?
このままでは、やはり園児には伝わりにくいですよね。
私なりに、もう少しわかりやすくしてみました。
昔の中国という国に屈原さんという、みんなから頼りにされていた人がいたのね。
でもあるとき、悪い人にだまされてしまって、国から追い出されてしまいました。
屈原さんはとても悲しくなって、深い川の底に行ってしまったの。
深い川の底には食べるものがなかったので、屈原さんのためにみんなでお餅を作って、川に投げ入れてあげました。
そうしたら、川に住んでいた悪い龍に、お餅は食べられてしまったの。
そこで龍が嫌いな葉っぱでお餅を包み、おまじないをかけた5色の糸で縛って、川の中に入れてあげたところ、無事、屈原さんのもとに届くようになりました。
このように「悪いものが近寄ってこないように」という願いを込めて、粽(ちまき)を食べるようになったんだね。
関東では、「柏餅(かしわもち)」なので、関西編の続きに以下の内容を追加してみては如何でしょうか。
その後、甘い餡子を入れたお餅が作られるようになって、包む葉っぱも「柏」という木のものに変えたの。
柏の葉っぱは、“新しい芽が出るまで、葉っぱは落ちない”という素敵な葉っぱなの。
つまり、「子どもが大きく成長するまで、パパとママが見守っているから、安心して元気に育って欲しい」という願いを込めて柏餅(かしわもち)を食べるようになったんだね。
鯉のぼりや兜、柏餅やちまきの由来の説明を保育園幼稚園でするには? まとめ
今回は、「端午の節句やこどもの日に関する鯉のぼりや兜、柏餅やちまきの由来の説明」についての情報をお裾分け致しました。
如何でしたでしょうか?
いつの時代においても、親が子供を想う気持ちは一緒なんですよね。
まだまだ小さい園児なので、保育士さんからのお話を聞いても理解できるのはなかなか難しいことだと思います。
お父さんやお母さんが、子どものことをいつまでも温かく見守っていて、大切にしていることが伝われば素敵なことではないかと思います♪
関連記事情報
端午の節句についての記事は以下のものがあります。
もし宜しければご覧になり、参考にしてみてくださいね♪
【初節句男の子が三月生まれの場合は?お祝いはいつ?何するの?】
【鯉のぼりベランダでの飾り方や選び方のコツは?風雨夜はどうする?】
【鯉のぼり次男にはどうする?色やサイズは?二人目が女の子の場合は?】
【端午の節句は関東関西で何が違う?張り子の虎って?ちまきはお菓子?】